また燔祭に使う若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の小羊一頭。
さらに、焼き尽くすいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭、
焼き尽くす献げ物として若い雄牛一頭、雄羊一匹、一歳の雄の小羊一匹。
まことに彼はわれわれの病を負い、 われわれの悲しみをになった。 しかるに、われわれは思った、 彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
また十シケルの金の杯一つ。これには薫香を満たしていた。
罪祭に使う雄やぎ一頭。
それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。
また彼らが真理によって聖別されるように、彼らのためわたし自身を聖別いたします。
キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである。
だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。
彼は、すべての人のあがないとしてご自身をささげられたが、それは、定められた時になされたあかしにほかならない。
このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない。
なぜなら、万物の帰すべきかた、万物を造られたかたが、多くの子らを栄光に導くのに、彼らの救の君を、苦難をとおして全うされたのは、彼にふさわしいことであったからである。
さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。
キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。